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にしくんって何者?
こんにちは、にしくんです。この記事を読む人は、だいたいにしくんについて知ってるかもしれないけれど、、、ぼくは簡単にいうと身体が小さくて109cmしかないくせに、変なことばかりやってる奴。イベンターやYouTuberを経てアダルト業界で監督兼男優として有名になり、現在はNHKやネット番組でタレント、映画やドラマで俳優もしている。そして、あまり知られていないけれど、元々はプログラマー。しかも未経験からプログラマーになって、現在は株式会社フリューゲルというIT企業で執行役員 部長であり、採用やメディア方面と社内開発チームのディレクターをしている。
そして、漠然とぼくを知っている人にも、
「ITって何となくしかわからないんだけど、具体的に何やってるの?」
とよく聞かれる。
ここでは、ITの話にまつわる、にしくんの経緯をまとめてみる。
著者にしくんについて
ブログ移籍しました
「にしくん」は"KOHEY NISHI"にメイン活動名を変更し、ブログを移籍しました。・「にしくん」から”KOHEY NISHI”にメイン活動名を変更する
・KOHEY NISHI’S CBD ONLINE SHOPとは?|CBDエバンジェリスト
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プログラミング技術を身につけるまで
ぼくは会社員になりたくなかった。
仕事なんてしたくなかった。
でも、お金と自由は欲しかった。
高校生の頃のぼくは、会社員になるということは最もお金と自由から遠退くことだと思っていた。そして、大学卒という学歴は就職には有効だけど、就活しないならいらないのではないか?そう考えた。
大学に行くということは、いち早く社会に出るには、広く深い人間関係の構築には、生涯の収入には、全てにおいてマイナスになるのではないか?なぜなら、一番大人たちに可愛がられて沢山教わる事が出来る若い4年という貴重な時間を、雑に消費することになりかねないから。もちろん、明確なビジョンがあって的確な大学と学部を選んでそこに行けるなら素晴らしい。しかし、ぼくは東大か海外大学への留学以外は無意味だと考えていた。そしてそれらは、高校時代に夜遊びをしまくって、科目によって偏差値が約35も下がっていたぼくには無理だった。
だから、18歳から独自で稼ごうとした。アメブロのデザインや、SNSの運用、スパムまでも勉強して、ネットで稼ごうとした。そうして2年経った。結果は月収15万円でいっぱいいっぱいだった。お金を稼ぐということを舐めていた。この額では東京だと一人暮らしすら厳しい。そんな時にある女性と出会った。
IT企業で沢山仕事をしてきた彼女は、IT見習いで貧乏な自分には憧れだった。フラフラしているぼくを拾ってくれて、ブログで稼ぐ方法を教わったし、「にしくん」という活動名を付けてくれた。そして、師匠と慕うようになった。
久々に師匠と呑み! pic.twitter.com/nxG57xJYHL
— にしくん@Flügel執行役員 (@kohey_nishi) May 28, 2019
そしたらある時、衝撃的な言葉が出た。
(・_・).。oO(…はっ!?いやいやいや、なに無謀なことを言ってるんだこの人は!?iPhoneのアプリを作る!?片手で持てる小さな端末の中で起こる、メールしたりゲームしたりするあのアプリを作る!?映画やドラマで見たことある黒い画面に英語と数字を羅列してカタカタ打って作るのか!?あんなの、天才が年々もかけてようやく出来るようになるんじゃないの!?!?!?)
そうして教えてもらったのは、ハローワークだった。ハローワークというのは何となく知っていた。職業紹介をしてもらえる場所。そして、そこに職業訓練っていうのがあるから、そこで資料をもらってくるように言われた。半信半疑で早速行った。あった。iPhoneアプリ開発科の文字が。
つまり、ハローワークを通して受講出来る職業訓練でiPhoneアプリ開発のスキルを身につけようという話だった。しかもなんとこれ6ヶ月毎週5日の授業を受けながら月10万円もらえるのだ。スキルを身につけるためにはお金を払うと思っていたから、月10万円の援助を受けながらスキルを身につけられるというのは衝撃的だった。迷わず受講した。
そして半年。分厚い教材2冊を終え、ある程度のアプリは作れるようになった。卒業製作では、ネット接続なしでオリジナルのボットキャラと会話するLINE風アプリ「おふLINE」を作った。
ITの大企業で会社員になる
師匠はまた驚くべきことを軽々と口にする。
(・_・).。oO(…はっ!?いやいやいや、また無謀なことを言ってるよ。大企業!?学歴があって、新卒で、それでもたくさん落ちる中、ごく一部が受かるんじゃないの!?自分は、プログラマミングスキルはどうにか初心者になったけど、ニート歴3年の高卒障害者だよ!?!?!?)
なるほど。しかし、元々会社員になりたくなかったくらいだし大企業も…
そうして、検索して見つかったところに面接に行った。即採用された。正直、就活ってこんな簡単なのかってくらい、一瞬で受かった。
そうして、当時社員900人程で、後に上場する株式会社セラクの社員になった。
セラクは、未経験を積極採用して教育し、出向先が決まればそこに常駐して開発する会社だった。自分の場合は、現場経験はないながらも6ヶ月かけて基礎スキルは身につけたこと、新卒ではないこと、歩くのが困難なことから、とりあえず研修期間は飛ばし社内開発チームで簡単な業務をしつつ独学する中途採用になった。
そして、1日目終えての感想。
「やっぱ自分、普通の会社員ムリだ。笑」
1日目で無理だと思った。
まず、普通に会社員になろうとしてなる人とモノの捉え方や考え方が違うから話が合わない。先輩や上司を見て、こうはなりたくないと思うところが山程見える。生きててつまらなくなりそう。結果上手く行った今ではその感情は良かったことだけれど、要は意識高い系で社会不適合の問題者だ。ぼくは、身体に問題ある上に、社会的に頭も心も問題があった。
しかし、だからこそ頑張った。家は、歌舞伎町奥地の中国人がオーナーで、日本人なら大歓迎よと審査も敷金礼金もなく即入居出来た木造の建物。まともに料理出来ない狭いキッチンと、海の家のようなシャワー部屋3つと、汚いトイレは共用で、部屋はベットでいっぱいいっぱい。歌舞伎町なのでそれでも家賃6万円。そこを修行部屋と名付けた。朝は早起きして出勤前にプログラミングの勉強をし、夜は会社に縛られず稼ぐ方法を探し飲み歩く。3時まで酒を呑んで、6時に起きて勉強してから出社した日もあった。幼稚園生から高校卒業まで、よく学校を休む子だったのに、364日無遅刻無欠勤だった。364日までは。そして、364日の夜、ああなんだかんだ1年も働いてしまったとウイスキーをロックで浴びるように呑んだ。結果、寝坊した。さらに二度寝した。会社から電話が鳴り止まないのを無視して三度寝、四度寝して、翌朝が来た。辞表を出した。
嬉しいことに、止めてもらえた。ぼくは実力不足で問題だらけの奴だけれど、それでも辞めるのを止めて貰えるんだってちょっと嬉しかった。今辞めて生きていけるのかと問われて、確かに危うい。しかし、どこかで辞めなきゃ自分の生きたい人生を歩めない。半年後辞めますと宣言し、とりあえずなかったことにするし気が変われば働き続けて良いから頑張ってということで、働き続けた。しかし、半年と宣言した以上しっかりやめよう。そう決心して、より独立に対して本気になった。
結果、会社員をしながらアダルトYouTuberとしては数百万再生され、ライターとしては文字単価5円の仕事を貰え、イベンターとしても活躍し、当時はまだ素人ながら雑誌にも取り上げられるようになっていた。忘年会では、「いろいろ目立ってるから知ってるぞ。副業禁止なの知ってるか?」と上司に言われ、笑って誤魔化しながら、まぁ辞めさせられてもどうにかなりそうなくらいには力を付けていた。
そして半年後。就職して1.5年。22歳3月31日。
「同級生が新卒で社会人になるから逆のことをしたい」
という理由宣言で脱サラした。
フリーランスのプログラマー
上の、YouTuber、ライター、イベンター、の他に歌舞伎町でホストも始めた。
また、知り合いの会社からプログラマーとしてiPhoneアプリ開発とAndroidアプリ開発の案件を定期的に貰えるようになった。
プログラマーとしての収入は月30万円くらいで、その他の仕事で月10万円くらい。あまり働きたくなかったので仕事量は調整して、だいたい週4で仕事をした。それで月収40万円。23歳という年齢の割にはまぁまぁ良い感じになった。
しかし、もっと面白いことしたいと挑戦する中で、脱サラして半年後、監督兼男優でデビューする。ここではITの話をするので、それについて詳しく知りたい人は以下を参照してほしい。
なぜ、監督 & 男優に障害者の身長109cmのにしくんはなれたのか?人脈と世渡り、ポジティブと行動力の秘密。
正直、監督兼男優だけで十分儲かったので、プログラミングの仕事はしなくなった。(プログラミング案件もらってた会社の社長が、女優さんを紹介して欲しいて言い寄って来てキモかったから離れたのもある。)
さらにその業界を去ってから一年は、普通の仕事はしたくないやと、多少の収入源はあったけれど貯金を切り崩しながらほぼニートをしていた。
そして2019年。流石にちゃんと仕事しなくちゃヤバくなったところに新しい話が舞い込む。
現在の、株式会社フリューゲルの近藤代表から。
フリューゲル執行役員 部長
フリーになると自分は怠け者だから仕事しなくなる。だからといって普通の会社員は嫌だ。起業するするほどの資金や熱意はない。そんなぼくには、執行役員というポジションは興味深かった。
しかもIT企業。やっぱりプログラミングは好きだからまたやりたいと思っていたし、プログラミングが今そして未来必要不可欠で役立つことは言うまでもない。なので話に即乗った。事業内容を聞くと、前に務めていたセラクと非常に似ていた。ここでなら役立てそうだ。そう感じた。
フリューゲル自体は今年できたばかり。社員は2019年9月後半の現在でもうすぐ50人になるところ。しかし、グループとしては長く続いていて大きい。親会社は銀河ソフトウェア株式会社で、30年以上続いている会社。銀河グループ全体としては社員が600人ほどいる。
銀河グループのビジネス内容というのは、プログラミングが未経験者も多く採用し、2,3ヶ月でスキルを身に付け、社内開発もあるが多くの人は各委託会社にチームで出向して開発をする。メリットは、言うまでもなく未経験から採用されるので、勉強しながら給料まで貰えること。また、出向先も豪華で、株式会社SBI証券、みずほ情報総研株式会社、株式会社日立製作所、東京地下鉄株式会社、ガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社、など有名な最大手が並ぶ。そんな環境で開発出来るのは学びになるし楽しい。デメリットは、やはり多くは出向すること。いわゆる社内開発者とは違って、給料が低いとか、配属先によって環境が違い安定しないことが上げられる。まぁ、同業他社上がりで、上手く世渡りして23歳で月収40万円まで行った上に、現在も親会社でディレクターをしている自分としては、どんな会社に行っても結果は運と実力次第。未経験からチャンスを与えてもらえるだけ最高じゃないか!という考えでこのグループの子会社で執行役員になっている。
というわけで、株式会社フリューゲルでは執行役員 採用事業本部 メディア事業部 部長という肩書きで、広報や新しい企業戦略を考える立場にいる。頭が動かせて、パソコンが操作出来れば、誰でもプログラミングは出来る。障害者にとって最高の職業じゃないか。IT業界はスキル重視。スキルさえ身につければ仕事が出来るし、仕事ができるならば雇われる。夜の世界やアダルトの世界にいた人間にとって最高の職業じゃないか。だから、当事者のぼくが、この世界に新しい風を吹かせようと、フリューゲルにいる。そして、フリューゲルの執行役員でありながら、親会社の銀河ソフトウェアでは平社員でディレクター兼プログラマーをしている。リアルに働いてる人の温度感や声が聞こえる場にいなければ他人に勧められないから。そして、芸能活動等も銀河グループの広報になるとして、認められている。結果、時間とお金と立場とやりがいにかなり満たされた自由な感じで、IT業界で社会復帰させてもらってスタートしたのが2019年3月。約半年書いたのでこの記事を書いた。
プログラミングは誰でも出来るとは言わない。しかし、世間に思われてるほどは難しくない。案外簡単だし楽しい。勉強をするということが出来る人なら、勉強すりゃどんどん出来るようになる。大人になってからでも身につけられるスキル。そして、IT業界はスキルがあれば仕事がある。ITは時代に敏感で適応力が高い業界だから、ブラック企業もどんどん減っている。会社の人間として大きな声では言えないけれど、別に同じ会社にずっといなければいけないなんて義務はない。スキルが向上すればそれに見合った対応をしようと会社はするけれど、それでも不満なら転職したり独立すれば良い。そして、ITは人手不足だから転職と独立がし放題で、給料も自由度もアップしやすい。事実自分は、後に上場する大企業に未経験で入ってからの、フリーランスになり、現在は執行役員しながら、スマホゲームのディレクターとプログラマーをしている。
そんな、プログラミングのスタートラインに、フリーターだろうと、中卒だろうと、障害者だろうと、夜から昼の世界に行きたい人だろうと、素質があれば平等にチャンスを与える仕事が今の仕事。もちろん、仕事を出来ると判断した人でなければ採用しない。しかし、仕事が出来るならば学歴とか過去は関係ない。もし興味があれば、ちょっとした質問や相談でも構わないのでぜひ連絡してみて欲しい。ちなみに、にしくんのSNSやブログを見たと言ってもらえれば会社の個別説明会や面接に、にしくんも同席している。