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人のせいにする
「すぐ人(私)のせいにする。人のせいにしちゃダメ!」
ぼくが小学校低学年の頃、母親はそう言った。
ぼくは思った。
そう言う母親はすぐ父親のせいや、近所の人、時間、お金、社会のせいにしてるじゃないか。ただ、小学生のぼくは、責任添加相手が母親しかいないだけだ。
しかし、「人のせいにしてはいけない」というのは何となくわかる。なのに、どうしてみんな、すぐ人や、物事や、社会のせいにしたがるのだろう。
不思議だった。
そして、最近思う。
それは、逃げて、楽になり、自分を慰める為ではないだろうか。だから、全てを自分のせいにすると人は成長し、世界は変わって行くのではないか。
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「全部、自分のせいだ。」
例えばこう考えてみる。
給料が低い。それは、会社や社会のせいではない。そのくらいのスペックしかない私のせいだ。保育園に落ちた。それは、保育園や社会のせいではない。夫も妻も働きたくてベビーシッターという選択肢も選べない家庭環境で子どもを育てようと無理した私のせいだ。上司が嫌いだ。それは、上司を改心させることのできない私のせいだ。友人だと思っていた人に裏切られた。それは、あの人のせいではない。裏切り対象にして構わない程度の人間だった私のせいだ。不倫された。それは、あの人のせいではない。不倫したいと思われてしまうぐらい、かつての輝きを維持しようとしなかった私のせいだ。店員の態度が悪かった。それは、あの人のせいではない。機嫌が悪い日でも元気になっちゃうほどの魅力がない私のせいだ。混んだ駅のホームでぶつかってきたくせに謝って来なくて気分悪かった。それは、あの人のせいではない。そんな混む場所と時間を選んだ私のせいだ。。。
上のことは全て強引に理不尽にあえて酷く書いている。「風が吹けば桶屋が儲かる」なんてことわざもあるし、原因なんて様々なんだから、特定の一人、一つが悪いわけがない。しかし、そこをあえて全て自分のせいに思うと、他に責任を押し付けて解決もしないことにイライラしたりしなくて済む。自分のせいなら自分で解決したり、その場を離れるなり、何か出来る。何もしようと思わなければ気にしなきゃいいし、アクションして解決したら万々歳。他の人も同じことを考えていそうだなと思えば、それを解決する行動やサービスをすれば感謝されるし、ビジネスになるかもしれない。
こんなジョークがある。
アメリカで問題があると裁判や銃で解決しようとし、イギリスはティータイムで解決したことにする。ドイツは問題解決が上手くて最短時間かつ最低賃金でさっと解決し、イタリアはパスタを食べながら(面倒なことはドイツが解決してくれるでしょと)と解決してしまう。スイスで問題があれば国民投票を行うが、アイスランド、チェコでは「まぁ何とかなるんじゃね?」「そもそも問題なの?」で終わる。。。
日本はどうだろう?
最近の日本を見ていて思うのは、まず誰が悪いかを考え、その人を責めるが、他に悪い人や原因も見つけ、そこも叩き、あーだこーだ部外者が論争しているうちに何が問題で何が原因なのかが分散して行って、気がついたら次の問題が出てまた悪人を見つけて、否、作り上げて叩く。
その繰り返しではないだろうか。
どの国がいいとか、日本は良くないとか、そういう問題ではなくて、日本に生まれて日本人である以上その事実は変えることが出来ないのだから、社会の現象全てを自分に置き換えて自分のせいにしてみればいい。
自分のせいだと思って考えてみると、問題が見えてアイデアがどんどん浮かぶし、同じ問題を起こさなくもなる。